6月23日の太平洋戦争末期の沖縄戦から77年
となる「慰霊の日」に昔出会った民宿の
お爺さんのことを思い出しました。
ちょっと記事が前後してしまいました。
投稿する記事は準備していたのですが、
急に挿絵を描きたくなり、ちんたら色塗り
していたら遅くなってしまいました😅
沖縄は今年で本土復帰50年を迎えます。
今から30年前、当時学生だった頃に友人4人で
行った沖縄旅行のことを思い出していました。
アルバイトで貯めたお金で3泊4日の超貧乏旅行
をしたんです。
当時博多港から、確か丸一日かけてフェリーで沖縄へ。
もちろん個室ではなく、大部屋雑魚寝です。
食堂で食べたカレーがすごく美味しかったのを
覚えています。
沖縄出身の方も多数乗っていて、
船はめちゃくちゃ揺れるんですが、どんなに
揺れても三線を弾き続ける達人には驚きました😄
広間では誰かが三線を弾き、歌い、踊り、
なかなか楽しい船の旅でした。
宿泊も全てホテルではなく安い民宿を予約して
行きました。
しかも素泊まりなのでかなり安かったと思います。
確か2日目の宿だったと思うのですが、
レンタカーであちこち観光していたら
伝えていた到着時間をかなりオーバーして
遅くなってしまったんです。
携帯ももちろんないし、公衆電話もなかなか
見つからないくらいの田舎です。
でも私たちは呑気に到着して、
民宿の前に車をとめて荷物を下ろし始めると
中からものすごい剣幕で怒るお爺さん
(電撃ネットワークの南部さん似)が
飛び出してきたんです。
「今何時だと思ってるんだ!今が戦時中なら
あなたたちはもう確実に死んでいるぞ!!」
みたいなことを沖縄の方言で叫んでいたのです。
(以下おじぃと呼ばせていただきます)
疲れて道に迷いながらも、やっと宿に着いたと
思ったら突然怖いおじぃに
「もう死んでる!!」
言われて本当にビックリして固まってしまいました。
すぐ部屋にお案内され(ほぼ連行)
荷物を置いてなんと!狭い畳の部屋に
4人並んで正座させられたんです。
8月だったのでとにかく暑い!
暑い中、ずっとおじぃに怒られるという😨
部屋にはコインタイプのエアコンがあり、
途中でお金を入れてくれたのは
ありがたっかたんですが・・・
まさかの説教タイム。
若い頃に戦争を体験されて、辛い体験をしている
ので、時間を守らずチャラチャラ本土から観光で来た
若い女学生の態度が気に食わなかったんだなと
その時は思いました。
すっかり暗くなり、今から夕飯を買いに行くと
言うと、近くに地元の人しか行かない
ステーキハウスがあるからそこへ行けと。
そして、必ず焼き方はレアで頼め!と
オーダーまで指定され😅
お金の心配をしながら歩いてその店へ行きました。
小さいお店で、客も店員も日本人は見当たらず
女子4人で入るのにかなり抵抗ありましたが
勇気を出して入りました。
そして言われた通りにステーキをレアで注文し
(片言英語で)食べてみると・・・
めちゃくちゃ柔らかくて最高に
美味しかったんです!!しかも安い!!
見た目、血も滴るようなレアなんて
初体験でした。
あんなに分厚いレアを食べたのは
あの時だけです。
次の日の朝には、素泊まりなのに
奥さん(おばぁ)が朝ごはんを用意して
くれていて、沖縄の家庭料理とそうめん
が美味しかったのを覚えています。
本当に優しいおばぁでした。
おじぃも帰る日はずっと手を振って
見送ってくれましたよ!
やっぱり優しいご夫婦でした^^
今なら思います。
おじぃはきっと若い頃の沖縄戦で、
想像を絶する悲惨な体験をたくさん
していたのでしょう。
米軍払下げ店めぐりをして、
アーミー柄の雑貨屋や古着屋で買った
アメリカンな服を着て、平和ボケした
若者が到着予定時間を大幅にお遅れて
やって来た私たち。
きっとなかなか到着しない私たちに
何かあったのではないかと安否を本当に
心配してくれていたのだと思います。
もっとちゃんと戦争体験を聞けばよかった。
いや、聞いたけ正直忘れてしまったのかも
しれません。
当時は若くのほほ~~んと生きていたので
あまり真剣に聞いていなかったことが残念
すぎます。
ちゃんと歴史を知ることは大切ですね。
でも若いからこそ経験できた沖縄旅行でも
ありました。
いまでも民宿ってたくさんあるのでしょうか。
懐かしい思い出です。
毎年夏に沖縄の話題を目にすると
民宿のおじぃと、、レアステーキの味を
思い出します。